或る元玄関開けたらいる人のブログ~JW二世という人生~

エホバの証人(JW)二世として生まれ育ちました

②母のバプテスマと鞭

父の家族との関係に深く悩んでいた母は、幸福な家庭を築く方法について強い関心を示し、数回長老が再訪問した後、年配の開拓者の姉妹にバトンタッチしその後研究を始めたのだった。

 

その頃は父の実家に同居していたのでなかなか集会に参加するには至らなかったのだが、しばらくして父に転勤の辞令が出て我が家は東北地方へ引っ越すこととなった。

 

エホバの証人接触する前に転勤の辞令が出て、父の家族との同居が解消されれば母がこの宗教と関係を持つこともなかったのだろうか・・・とも思うが、いずれにせよどこにいても訪問は来るわけで、どこかのタイミングで母は関心を示したのではないかとも思う。人生とは本当に難しい。

 

引っ越し先には研究司会者より連絡がいっており間もなくそちらでも引き続き研究をすることになった。家族三人だけになったことや、父の仕事が忙しかったこともあり母は幼い私を連れて集会に参加するようになったのだった。父もあまり母のすることに口を出さず集会や奉仕への出席に特段反対はしなかったようだ。

 

エホバの証人になるための環境が整っていった母はトントン拍子に伝道者になりバプテスマを受けた。そのころ3,4歳だった私はおぼろげな記憶しかないが、周囲の兄弟姉妹が母におめでとうと言っていたので何となく母が褒められることをしたのだと嬉しい気持ちになったように覚えている。

 

さて、エホバの証人になった母はその当時の周囲の親権家族がしていたのと同様、私の躾に鞭を用いるようになった。

集会でぐずったり寝ていたりすると、家に帰ってからまずそのことについて叱られその後お尻を鞭で叩かれた。集会や奉仕に行きたくないと駄々をこねる場合ももちろん鞭の対象であることは言うまでもない。

また日常生活においても例えば小さな嘘やごまかし、親の言ったことをやらなかったといったことについても鞭の対象となった。

 

よくないことをしたら𠮟られるのは当然であり必要なことである。そこにある程度体罰の要素が入ってしまうのは、場合や程度によっては仕方ないと言えることもあるかもしれない。

 

しかし、集会で年端もいかない子どもが2時間もよく理解できない話を静かに身動きもせず聞けるはずがなく、奉仕と称して知らない人の家に行ってほとんどのケースで追い返されるという個別訪問を好きになれるわけもなく、それを家畜を御すかのように鞭で強制するのは実に残酷な手法である。

(※鞭は⇓のようなゴムホースを50cm程度に切り、二本束ねたものだった)

 

私にとってこの鞭は効果てきめんだった。

もともと聞き分けが良いのか諦めが早いのか分からないが、当初は集会や奉仕への参加を嫌がっていたが、抵抗しても鞭が待っていることを理解してからは抵抗することもなく母に従順な子どもになっていた。

以前はエホバの証人問題=輸血という感じだったが、最近鞭の問題もクローズアップされてきていることは喜ばしいことだと思います。

この教団から離れて10年になるので、最近の事情が分からず今も鞭があるのかないのかはよく分からないのですが、鞭によって信仰を強制され、精神的にも「去勢」された子どもが私を含め多数居るということについて皆さんに是非思いに留めていただけると幸いです。

 

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